社内政治や派閥争いへの本質的対応とは

「社内政治は無駄である。だから、関わらない」と言えたら、どんなに仕事は楽だろう。

だが、人が集まれば望むと望まざると政治は始まってしまう。経営者が政治を望んでいなくても、権力がある所には政治が存在する。

だが「社内政治」はあまり評判の良いものではない。

「オレ聞いていないんだけど」
「一枚噛ませろ」
「あの人の許可はとったのか」
「隣の部署の企画を潰せ」

そのような、どちらかと言えば「意思決定を遅らせるコミュニケーション」が要求される。

はっきり言えば「権力闘争」が存在する。

もちろん社内政治が大好きな人もいようが、通常、ある程度仕事ができる人にとっては「社内政治」の悪影響を最小限に抑える努力をしなければ、満足行く仕事もままならない。

では「社内政治の悪影響を最小限にする」ためには何をすればよいのだろうか。

結論としては

  1. 孤立を避けて、味方を増やす
  2. 敵を作らない

の2つに落ち着く。だがこれは単なる「社内政治」の言い換えにすぎない。

「味方を増やす」とはどういうことか、「敵を作らない」とはどういうことか、具体的活動の指針が必要だ。

これについては、私はある会社の社内係争を例に挙げたい。

東京都下にあるその会社は、創業社長を中心とする一枚岩の会社であった。苦労して会社を立ち上げた社長は、自らを中心として確固たる営業体制と生産体制を整え、営業の責任者として専務、生産の責任者としての常務を配置していた。

顧客からの評判も良い会社であり、納期と価格的な強みから、多くの顧客に支持されていたように記憶している。

だが、高齢からくる社長の病、およびそれに付随する静養という事実上の「退任」に社内は動揺する。端的に言えば「意思決定者」が不在になってしまったのである。

意思決定者が不在となった組織のほころびが最初に現れるのが「例外対応」である。

もともとこの会社は納期に強みを持っていたが、それは顧客から「急ぎで」と言われた時に柔軟な対応ができたから、という部分に負うところが大きい。社長が健在であった頃については、この例外的な受注を受けるかどうかは社長がほとんど決定していた。

多くの場合、営業からは「受けるべき」、生産からは「無理である」という意見が上がってくるが、顧客の様子を見て最終的に社内リソースを調整するその技が、社長の社長たる所以であった。

そのバランスが崩れたのである。

兆候は一件の納品遅れであった。

営業から生産にクレームが入る。「あの時できる」といったじゃないか。生産はそれに対し「努力する」とは言ったが、「絶対可能」とは言っていない。その後の例外対応が多すぎて、そちらにリソースを割く余裕がなくなった。「営業が無責任に取ってくるからだ」と応戦する。

こんな状況の中で社員たちも不安になる。社内は徐々に「専務派」と「常務派」という2つのグループが形成され、力のある人物を奪い合うようになる。

その間に顧客からの信頼は徐々に失われ、遂には業績は低迷を始める。指標としては「リピート率」が非常に悪化したのだ。

営業のノルマは徐々に「新規開拓」の比率があがるごとにきつくなり、生産は「新規客からの無理な注文」をとり続けることで納期や品質に影響が出るものが増える、と悪循環を生み出してしまった。

業績悪化の報をきき、静養中の社長はついに大鉈を振るう事を決定した。

創業当時からの仲間である専務と常務を更迭し争いに参加せず、「まっとうである」と評判の執行役員がトップになったのだ。

「専務派」と「常務派」の抗争につかれていた社員は、執行役員を担ぐようになる。パワーバランスは取り戻され、会社は安定するようになった。

傍目から見ればその執行役員は「漁夫の利」を得た形となった。

その執行役員は、一体何をしたのだろうか。

実はこの執行役員は社内係争に「勝つ」ことを全く目的としていなかった。

とにかく、社内政治を目的とせず、どちらの側の方々に「真っ当に」と「謙虚に」接することで、双方から「こいつに任せておけば大丈夫」という評価を得たのだ。

時に彼も「どちらの意見を採用するのか」と聞かれることもあったという。そのたびに「どちらがお客さんにもっともよいですかね」という議論を行い、以下のことを心がけたという。

  • 同調圧力に負けない
  • 悪口を言わない
  • 人を怒らせない
  • 礼儀を尽くし、だれであっても敬意を払う
  • 社内ではなく、顧客を中心に考える

最終的には社長が彼の客先、社内での評判に気づき、彼を引き上げることで問題の収束を図ったのはある意味必然であった。

結局人は最終的に「まっとうな人」で「謙虚な人」、そして「成果をあげる人物」についていく。

味方を増やし、敵を作らないとはまさにこの行いのことだ。それさえ忘れなければ、社内政治を恐れる必要は全くない。