上司は失敗と怠慢を見極めなくてはいけない

事業における「うまく行かなかった」は二種類ある。

「チャレンジしたが、うまく行かなかった」と 「やるべきことをやらずに、うまく行かなかった」である。

前者は失敗、後者は怠慢と呼ばれる。もちろん前者は褒め、後者は罰する事が大事だ。

マネジメントはその原則を守らなければならない。

失敗を奨励しなければチームは決してチャレンジをしないだろうし、怠慢を罰さなければ「正直者が馬鹿を見る」組織となり、良い人材から流出していく。

だが、この2つをきちんと区別できるだろうか。大企業だけではなく、中小企業でも

「結局、チャレンジといいつつ、口だけの人って多いよね」

「失敗を奨励しても、それが妥当な失敗なのか、それとも単に動いていなかっただけなのかがわからない」

という声がよく聞かれる。

現場にとって、これは由々しき問題である。もし怠慢と失敗を区別できなければ、管理職は信用を失ってしまう。

したがってチャレンジを奨励する組織は、「失敗」と「怠慢」を区別する目、判定基準を持たなければならない。

それは、具体的には以下のようなものだ。

 

一、失敗はデータが残り、怠慢は残らない。

失敗は実際の行動が伴うため、「アクションした結果のデータ」が残る。このデータは非常に貴重というべきで、次のチャレンジに活かすこともできるから、「成果あり」とみなすことができる。

だが、怠慢にはデータがない。行動していないのだからデータが残りようもないのだ。

顧客のレスポンス、満足度、webへのアクセス数、SNSでの拡散など、失敗には「データ」が必ず残る。

データを持たない失敗を、信用してはならない。

 

二、失敗は完遂。怠慢は中途半端。

失敗かどうかは、プロジェクトを完遂させ、販売や現場での導入を行って初めてわかる。

だが、怠慢はプロジェクトの完遂までたどり着かない。あれこれ言い訳しては結局最後まで行動しない。したがってプロジェクトが完遂されていない場合は失敗ではなく怠慢とみなすべきである。

ある新規事業担当の役員は、失敗と怠慢の違いを判断するために、「行動の完遂率」や「タスクの実施率」を監視していた。これは全くもって正しい態度である。

 

三、失敗は現場で泥臭くやったことの結果。怠慢は机上でこねくり回した結果。

失敗は行動の結果でしか判断ができないものである。行動しないうちには、失敗かどうかはわからない。

たとえば、新商品が失敗かどうかは社内の憶測で成功と失敗を決定してはならない。

実際、成功するまでにはかなり粘り強く課題にアプローチする必要がある。怠慢は多くの場合粘り強さを持たず、「どうせダメだ」と、勝手に自ら諦めてしまう。

例えば、ある商品開発プロジェクトは実際に見込みとなる顧客に意見を聞くことをせず、「市場調査の結果」だけで判断を行っていた。

見込み顧客からは改善の種や、新しい指針を獲得できるチャンスであるにもかかわらず、彼らは泥臭く現場を回ることを避け、どこかの調査会社がだした「調査結果」ばかりを見ていた。

これでは失敗ではなく、恐れて行動しないだけの怠慢と呼ばれても仕方がない。

 

四、失敗は早くわかり、怠慢はなかなかわからない。

大抵の場合、失敗は明確な行動の基準と、成果の定義が決まっているので、すぐに判明する。

逆に怠慢はなかなか結論を出そうとしない。

時間をかければかけるほどよいものができる、という人がいるが、大抵の場合成功の定義や基準のないところには、ダラダラ続ける人がいるだけである。

人間は本能的に失敗を確定させることを恐れ、無駄な投資を続ける傾向があるものだ。だが、失敗に向き合わなければ新しいことを始めることもできない。失敗を確定させることをしないのは、単なる怠慢である。

ある新規事業のプロジェクトリーダーは、タスク一つ一つに、成功と失敗の判断基準を期限付きで設定していた。

「成果の出ない努力をいくらつづけても、時間の無駄ですから、失敗はできるだけ早く見極める必要があります。そのために必要なのは基準です。」

と彼は言った。

判断をすべき時に、判断を先送りすることは、単なる怠慢である。

 

まとめ

失敗は奨励し、怠慢は罰することがマネジメント上重要なのは言うまでもない。

だが、本当に重要なのは「上司による失敗の見極め」である。

それはすなわち、以下の四つのことを部下が行っているかどうかで判断できる。

  • 行動した結果のデータがあるか
  • 行動を完遂しているか
  • 現場で泥臭く行動しているか
  • 失敗の基準があるか

良い上司は、常に行動志向、現場志向であり、この見極めに、心血を注いでいる。