「あいつは、うちの会社で働くべき人間じゃなかったからな。」と、その経営者は言った。
「上司ってのは部下のために働かなきゃならない。だけどあいつは、自分が褒められたくて仕事をしていた。ま、自己顕示欲が強すぎるんだな。そういう奴はウチの会社にはいてほしくなかった。」
まわりでは、辞めた上司の部下が経営者の話を聞いている。
「そう思わないか?」と経営者が周りに聞く。
「もちろんそうですよ、私、前からあの人の発言は気になっていたんです。成果を出していない部下をきちんと叱れないし、なんか部下に媚びているみたいでした。」
一人の社員が同調する。
「そうか、やっぱりな。」
「いやー、本当に問題でしたよ。やめてもらって本当に良かったです。」
「そうか、そうか、会社の理念に同調できない人は、やめてもらわなきゃな。」
その社員と経営者は意気投合したようだ。
「いや、新しい体制は期待が持てますね、頑張りましょうよ!」
「おう、頼りにしてるぞ。」
だが、他の社員は黙っていた。
飲み会が終わると、ある一人の社員と帰途についた。
「辞めた人、評判悪かったんですね。」と、私は何気なく聞いた。
その社員は「いや」と言葉を濁す。
「どうかしました?」
「さっきの話なんですけど、私は個人的には尊敬していたんですよ。でも社長とウマが合わなくて。」
「そうなんですか。」
「ええ、確かに欠点も多い人だったんですよ。叱れないってのも、まああの人自身がルールをあまり守らない人でしたからね。」
その社員は懐かしむように言った。
「そうですか。」
「でも、すごい熱心に指導してくれて、クレームのときは私たちに必ず同行してくれて、『責任はオレが』って言う人でした。そういう意味では、良い上司だったんですよ。」
「さっきの話とは大分違いますね。」
「そうです、社長だってほんの1年前までは『うちの部長はほんとにできるヤツだ』と言ってたんですよ。」
「そうなんですか?意外ですね。」
先ほどの様子からは想像もつかない。
「欠点を上げればきりがないので、社長と彼の話もデタラメ、ってわけじゃありません。でも、私は本人がいない所でああして中傷する人が苦手なんです。」
「モラルの問題、って言うことですか?」
「いいえ、そんな難しい話じゃないです。でも、辞めた人を好きだった人もたくさんいるわけですよ。」
「でも、社内に混乱を引き起こした。」
「そうかも知れません。その事自体はしかたがないと思います。これ以上会社にいたらマズかったとも思います。でも、そうであったとしても、辞める人のことを悪しざまに言うのは賛成できません。」
「そうなんですか。」
「彼のことを嫌っていた社員ですら、『社長があの人のことを言うたびに、つらい気持ちになる』って言ってます。」
「……。」
「やっぱり会社をやめる時は、ああいうふうに言われてしまうんだなって。なんか、寂しいですね。私も影で、散々言われているのかもしれませんが。」
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「あいつが、ろくに引き継ぎもやらずに辞めちまったから、こんな余計な仕事までやらなきゃいけないんですよ。」と、部下の一人が言った。
「それにしても、あいつ口だけは一人前だったけど、全然働きませんでしたね。」
数名の部下たちも「そうだ」と言わんばかりだ。
「リーダーも、かなりやりやすくなったんじゃないですか?やっぱり、チームはまとまりがなきゃダメですよね。」と、彼は続ける。
現在、プロジェクトは一人の人間が突然、十分な引き継ぎをせずに辞めてしまったことで、混乱をきたしていた。お客様からの問い合わせに回答が遅れ、叱責を受ける人もいた。
不満の矛先は、やめてしまった人物に向けられた。
だが、リーダーは部下から声をかけられ、こう言った。
「辞めた人のことを、悪く言うんじゃない。彼の不満を解決できなかったのは、私の責任だ。本当に申し訳なく思っている。」
部下の一人があわてて言う。
「い、いやそんなつもりじゃないですよ。申し訳ないです。リーダーのせいではないので。」
リーダーは皆に向かって言った。
「大丈夫、気を使ってくれてありがとう。
いま、状況のわからなくなっている事項のリストを作った。みんな、申し訳ないんだがこのリストを埋めてもらえるかな。
あとは私の方で判断して、お願い事項をまとめる。協力をお願いすると思うが、よろしく。」
部下たちは頷いた。
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経営者や上司と合わず、異動や転職で職場を去る人も多いだろう。
別れを惜しまれることは、その人にとって一種の名誉だ。
だが、その一方で「別れ」につきものなのが、「辞めた人への中傷」である。
社員同士での噂になる程度であればまだ良い。最もマズいのは「経営者」や「管理職」が退職した人物を悪しざまに言うことだ。
終わったこと、辞めた人間を責めても何も生まれない。むしろ自分を貶める結果となる。肝心なのは、これからどうするか、だけなのだ。