お金で釣ろうとすると、人の気持ちを損なう。

長いこと働いていると、「お金」ほど取り扱いが難しい物もなかなかない、と思う。

生活のためには稼がねばならず、また、お金をもらって嬉しくない人はほとんどいない。にも関わらず、「お金で人を動かそうとする」と、時に大きな反発を生む。

例えば、ハーバード大教授のマイケル・サンデルは、著書「それをお金で買いますか(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)」で、

イギリスの国民健康保険が肥満の抑止をしようと、太り過ぎの人々がそれを減らして、それを2年間維持すれば、国民健康保険は最高で約425ポンド(約6万円〜7万円程度)を払う

という制度を紹介している。

このシステム、純粋に経済的観点からすれば一見して、反対する理由はない。しかし、この仕組みには多くの人が反対しているそうだ。

反対の理由は数多くあるが、サンデル氏はこんな文を引用している。

ある人にお金を払って悪習を捨てさせようとするのは、過保護国家の精神の最たるものであり、自分の健康への責任を一切免除してしまう

つまり、金銭で人を動かすことにより「その人をスポイルしてしまう」ことを危惧する人が大勢いる、ということだ。

 

多くの会社で私が見た事例も、共通するものがある。

たとえば、ある会社で「プロジェクトの目標達成をしたチームに、お祝い金を出す」という制度を取り入れようとした。経営陣は素直に、「皆に達成を喜んで欲しい」と、心から思っているのだ。

普通であれば、チームにとっては「損のない取引」である。皆が喜んで受け入れると予想する人のほうが多いだろう。だが、事はそう簡単ではない。

実際、ある会社では、現場にそれを説明すると、大きく2種類の反応があった。

1つ目は、純粋に「嬉しい」と思う人。目標達成をしたら金銭的に報われたい、良い思いをしたいと思う人だ。

しかし、2つ目はそれとは真逆の意見だ。

「別にお金がほしい訳じゃないです」
「そんな無駄なお金をつかうならもっとマシなことに使ってください」

こう言った意見も少なからず出る。彼らは決してお金を要らない、と言っているわけではない。だが、インセンティブには反発する。

なぜこんなことが起きるのだろうか。

話を聴くと、彼らに共通するのは「お金で釣られたくない」「買収されたくない」という感覚だ。彼らの一人は「露骨にお金で釣ろうとする、その態度が気に食わなかった」という。

これは、贈り物をするときに「現金」を送らないことと似ている。

経済的合理性からの観点を考えると、最も価値があるのは現金である。だが、現金をそのまま送りつける人は少ない。「現金を渡す行為」は、なにか失礼に当たる行為ではないか、と感じるひとが多いのだ。

 

実は、経営者からすれば「お金で動く人」は比較的扱いやすい。働く動機が単純だからだ。

「成果を出したら、出した分だけお金をくれたなら、それでいいです」という人は、理想的な社員かもしれない。

だが、もう少し「働き方」にこだわりのある人は今すぐ金銭的に報われるかどうか、はあまり重視しない。

例えば、人材紹介サービスを展開しているエン・ジャパンの調査によれば、職場を決めた理由の上位は、「仕事の内容」、「自分のスキルが活かせそうかどうか」、「業界への興味」など、金銭的な動機ではない。

もちろん、この結果を持って「皆がお金に興味が無い」とするのは早計である。

そうではなく、この結果が言おうとしているのは、「お金を全面に出した話をすることが、皆あまり好きではない」という事実だ。

「お金をたくさん稼ぎたいから独立しました」という方は数多い。経営者として成功すればサラリーマンの何十倍、何百倍というお金を手にすることができるからだ。

したがって、経営者は、「お金」を動機とした労働を高く評価する人の割合がサラリーマンより遥かに多い。

そのため、経営者が従業員に対して「ヤル気を出させよう」と考えた時、「お金を渡せば一生懸命働くのでは」と考える人も多いのだ。

だが、現実には「お金の話が嫌い」という人は、彼らの想像よりも遥かに多い。

 
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アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグは、

「お金」が動機づけ要因ではなく、衛生要因、つまり「満たされていなければ不満を持つが、満たされたからといってやる気が出るものではない。」

ということを提唱した。その研究結果はおそらく正しいのだろう。

本当に社員や部下にヤル気を出させようとすれば、必然的に「お金」と「仕事の面白さ」の両面を整えてやらねばならない。これからの時代の中心たる、「知識労働者」は特にそうだ、

仕事の楽しさを全面に、お金の話は控えめに、かつ鷹揚に。これが今の時代のマネジメントだ。