最低賃金の引き上げが止まりません。多くの経営者は、この最低賃金引き上げに頭を悩ませています。
中小企業ではありがちですが、初任給と最低賃金が同額に近い場合は、毎年のように初任給を見直さなければなりません。
また、初任給だけ賃金を上げようとすると、中堅社員から不満が出るため、賃金制度全体の見直しが迫られます。
どのように賃金改定を進めるべきか分からず、その場しのぎの対策だけに終始してしまい、このままで良いのだろうかと感じている経営者は多いと思います。
そこで、本記事では、最低賃金の現状、違反しているか確かめるための計算方法、賃金改定する5つの方法についてそれぞれ解説します。この記事を読めば、最低賃金引き上げに対して上手に備えることができるでしょう。
ー 目次 ー
1.最低賃金の種類
最低賃金には2種類あります。地域別最低賃金と特定(産業別)最低賃金です。
(1) 地域別最低賃金
ニュースでよく報道されている「最低賃金」が地域別最低賃金です。産業や職種に関わりなく、各都道府県で設けられています。地域によって「東京は時給1,163円」「沖縄は時給952円」と最低賃金の金額が異なります。
これは、地域ごとに生活水準が異なるため、保証すべき最低の収入も異なるという理由で地域ごとに金額が異なっています。
なお、地域別最低賃金の全国一覧については、以下をご覧ください。
「厚生労働省HP 地域別最低賃金の全国一覧」
(2) 特定(産業別)最低賃金
特定の「産業」のみ設定されている最低限支払わなければならない賃金を定めているのが、特定(産業別)最低賃金です。
発達が遅れている産業に対して他の産業よりも高い水準の最低賃金を認める趣旨でこの最低賃金が作られました。
この記事では、地域別最低賃金を中心に扱い、特定(産業別)最低賃金については巻末で詳しく解説します。
2.最低賃金引上げの影響
2024年10月、全国平均で地域別最低賃金が51円引き上げられました。この場合の中小企業への影響を見てみましょう。
仮に月所定労働時間を168時間、残業時間を20時間として最低賃金引き上げに影響する対象者が10人の場合と30人の場合とで試算してみます。
上の図の通り、対象者が10人となると、年間で1,181,160円、対象者が30人ともなると、年間で3,543,480円の影響額となります。
もっとも、最低賃金に抵触しそうな社員のみ賃金を上げる訳にいかず、中間層やその他の層の賃金改定を行う場合もありますので、この影響額に留まらないケースもあるでしょう。
そうなると、今後、どのように最低賃金引き上げに対応していくか考えることは重要であることが分かります。
まず対応するためには、現状の賃金が最低賃金とどのくらい乖離があるかを知らなくてはなりません。そこで、次に最低賃金の計算方法について解説します。
3.最低賃金に違反しているか確かめるための計算方法
(1) 地域別最低賃金が適用される労働者の範囲
産業や職種に関わりなく、また、パートタイマー、アルバイト、臨時や嘱託などの雇用形態にかかわらずすべての労働者と使用者に適用されます。
例えば、高校生だからと言って地域別最低賃金を下回った賃金を支払ってはいけません。
(2) 計算方法
自社の賃金が最低賃金に違反しているかを計算するためには、個々の賃金額から最低賃金の対象外の金額を控除し、その金額を時給換算します。
具体的には以下の順序になります。
①最低賃金対象外(残業代・精皆勤手当て等)を差し引く
最低賃金の対象外となるのは、毎月定期的に支給されない性質のもので、以下の6つが挙げられています。
ⅰ 臨時に支払われる賃金(結婚手当など)
ⅱ 1カ月を超える期間ごとに支払われる賃金(賞与など)
ⅲ 残業代
ⅳ 休日割増賃金
ⅴ 深夜割増賃金
ⅵ 精皆勤手当、通勤手当および家族手当
(例)
以下の図のように、支給されている賃金から最低賃金の対象外の賃金を差し引きます。以下の例では、「精皆勤手当」「通勤手当」「家族手当」「割増賃金」「賞与」が対象外となるため、それらを差し引きます。
②時給換算する
①で算出した賃金を時給換算します。これは、最低賃金が基本的に1時間当たりの金額を基にしているからです。
月給であれば「月所定労働時間」で割り、日給であれば「1日の所定労働時間」で割ります。
③最低賃金と比較する
②で算出した時給換算した賃金と最低賃金との金額を比較します。最低賃金と同額または上回る場合は問題ありませんが、下回ってしまうと最低賃金法違反となってしまいます。
ここで、実際に計算する過程を以下に示します。
これで最低賃金の計算方法がイメージできたでしょうか。
なお、この例では東京都の最低賃金を上回っているため問題ありませんが、仮に1年100円ずつ東京都の最低賃金が引き上げられるとすると、2年後には1,363円となりますので、その時には賃金改定を行わなければならなくなります。
また、日給の場合も同様に最低賃金の対象となる金額を算出したうえで時給換算を行います。例えば、日給9,000円で8時間働かせた場合は、時給換算すると1,125円となり、東京都最低賃金である1,163円を下回ってしまいます。
このままでは東京都の最低賃金を下回ってしまうため、日給の金額を上げるか作業手当などの手当を付けなければなりません。
現状の賃金が最低賃金を上回っているかどうか、計算してみてください。
(3) 最低賃金の対象と残業代の算定基礎の対象について
さて、最低賃金の計算方法と直接関係はありませんが、最低賃金の対象と残業代の算定基礎の対象とは混同しやすいので、ここで取り上げます。
端的に違いを言うと、制度趣旨が異なるため、その対象も異なります。
最低賃金は月々どのくらい定期的にもらっているかが基準となるため、原則として手当を含め、変動しうる精皆勤手当、通勤手当、家族手当を除外しています。
一方残業代は労働を基礎としているため、労働とは直接関わらない手当てを除外しています。具体的には、家族手当、通勤手当、住宅手当などが除外されます。
別居手当、子女教育手当、住宅手当について見てみると、定期的に発生する手当なので最低賃金に含めるべきですが、労働と直接関わる手当で無いので、残業代の算定基礎には含めないということになります。
(4) 最低賃金の減額の特例について
最後に最低賃金の減額の特例について触れます。一般の労働者より著しく労働能力が低い等の場合、最低賃金を一律に適用するとかえって雇用機会を狭めるおそれがあり、特例として最低賃金の減額を認める制度です。
以下が減額特例の対象者です。
①精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い方
②試の使用期間中の方
③基礎的な技能等を内容とする認定職業訓練を受けている方のうち厚生労働省令で定める方
④軽易な業務に従事する方
⑤断続的労働に従事する方
注意点として、都道府県労働局長の許可が必要であるため、上記に当てはまると言って全員が減額措置を受けることができるというわけではないことがあげられます。あくまでも個々に申し立てを行い、個々に減額特例を受けることができるか判断されることになります。
ここまで最低賃金の計算方法について述べてきました。最低賃金の計算方法はお分かりいただけましたでしょうか。
それでは、この最低賃金に違反するとどうなるのでしょうか。
4.最低賃金に違反するとどうなるか
最低賃金に違反した場合、(1)行政指導(2)罰則(3)民事上の請求を受けることになります。それぞれ解説します。
(1) 行政指導
最低賃金の違反が疑われる場合には、労働基準監督署による立ち入り調査が行われます。調査の結果、違反したことが判明した場合には、是正勧告が行われることがあります。
(2) 罰則
また、上記の行政指導とともに、50万円以下の罰金が科される場合があります。つまり、刑事手続きに移行するということです。具体的には、労働基準監督署による捜査のうえ、書類送検されることがあります。
なお、厚生労働省が事案を公表していますので、詳しくは以下をご覧ください。
「労働基準関係法令違反に係る公表事案」
(3) 民事上の請求
本人より本来支払うべき賃金と実際に支払った賃金との差額を請求された場合には、その差額分を支払わなければなりません。請求された場合、遅延損害金を支払う可能性があるので、注意が必要です。
それでは、最低賃金に違反しないためにはどのようにしたらいいでしょうか。
この点、どのように賃金改定を行うべきか悩んでいる経営者の方は多くいます。そこで、ここでは賃金改定の方法を5つ紹介します。
5.賃金改定の方法
(1) 年棒制
まず一つ目に取り上げるのは、年棒制の採用です。
年棒制は、年間で支払う賃金を決め、それを12か月に等分して支給する制度です。経営者側のメリットとして、年収による管理が行いやすく、経営計画が立てやすくなる点が挙げられます。
この年棒制に賞与分を取り込むことにより、本来最低賃金の対象とならない賞与分を対象とすることが可能となります。
どちらも年収は280万円と変わりませんが、年棒制とすることによって最低賃金の対象額が変わります。これは、将来発生する賞与をあらかじめ定期的に分配することに他なりません。
企業側としては、負担額を変えることなく賃金の時給換算増額を行うことができるというメリットがあります。
ただし、デメリットとして残業代の算定基礎となってしまうため、残業が発生した場合には、月に支払う賃金が高騰化する恐れがあります。また、年棒制自体が持つデメリットを考慮しなければなりません。
具体的には、企業側としては業績が悪化した場合も一定の賃金を支払わなくてはならない、従業員側としては良い業績を上げたとしても反映されるまでに時間がかかるなどのデメリットです。
年俸制に移行する場合には、その点も含めたシミュレーションや検討が必要でしょう。
(2) 最低賃金に抵触する等級の賃金だけ上げる
2つ目は最低賃金に抵触する等級の賃金だけ上げるという方法です。
非常に簡便であり、影響する人数が少なく金額のインパクトが少ない場合には、この方法を採用すると良いでしょう。
但し、デメリットとしては、中堅社員から反発が起こる点や、毎年最低賃金の引き上げがあると結局イタチごっこのように対応しなければならないという状況に陥る点があります。
そういう意味では、その場しのぎのような対応策に留まってしまうといえます。
(3) 最低賃金に合わせて全体の賃金制度を見直す
最低賃金に抵触する等級の賃金だけ上げると、中堅社員から反発が起こる可能性があります。
そこで、全体の賃金制度を見直し、各等級の賃金の基準をアップしていくという方法があります。これは実質的なベースアップです。
中間層以上の不満を吸収できますが、対象者が多くなり、賃上げのシミュレーションや全般的な賃金改定が必要となり、多大なコストが生じる恐れがあります。
(4) 賃金の固定比率と変動比率で調整する
ここでは、賃金の固定比率と変動比率で調整するという方法をおすすめしたいと思います。
ここでいう固定比率の対象となる賃金は、月額の基本給や手当て、一律の固定賞与などを指します。また、変動比率の対象となる賃金は、業績や成果と連動した賞与を指します。
この方法は、下の図のように最低賃金に達しない等級の固定比率(基本給等)を上げることで最低賃金違反の問題を解決する方法です。変動賞与の金額が下がるため、全体の賃金支払額はほとんど変わりなく行えることが特徴です。
ただし、基本給を上げると残業代に影響するため、そのシミュレーションが必要になります。
この方法の良い点として、この固定比率を等級ごとに変えることで、合理的な賃金制度をつくることが可能になることが挙げられます。
高い等級の社員の働きぶりは業績に影響しやすくなるため、等級が高くなればなるほど業績と連動する変動賞与の割合を増やすのです。
そうすることで、賃金の増減と会社の業績の増減が連動するような、理想的な賃金カーブを描きやすくなります。
また、この方法は、責任の大きさによって賃金の変動比率が異なる点においても、一定の合理性があります。下の表はそれを示したものです。
新人や仕事を覚えたばかりの社員、つまり下の等級にいる社員については、責任が小さく企業の業績と連動しにくいです。
一方、リーダーや課長職、部長職などのチームや組織をまとめるような社員については、果たすべき責任が大きく、企業の業績と連動しやすいです。
つまり、この方法は、会社に果たすべき責任から賃金制度のあり方を説明できる点においても合理性があり、社員に納得性を持たせることができます。
メリットとしては、この最低賃金の問題を仕組みで解決できることや論理的に賃金改定を説明できるので、中堅社員以上の不満を吸収できることが挙げられます。
デメリットはあまりありませんが強いてあげるなら、賞与の変動率が少し下がるため、業績に応じた人件費のコントロールが少し妨げられます。
(5) 調整手当や住宅手当などその手当を設定する
最後に、何らかの調整手当や住宅手当などその他手当の増額を行うという方法を紹介します。最低賃金の対象にならない手当ては、精皆勤手当て、家族手当、通勤手当のみです。
よって、定期的に支給していることや手当の趣旨と異ならないことが前提となるものの、その他の手当は基本的に最低賃金の対象となるため、何らかの手当で調整するという方法があります。
新しく調整手当を設けたり、既存の住宅手当の金額を増額させるような属人手当に上乗せする方法で、比較的簡便な方法と言えます。
ただし、調整手当は継続的に管理しなければならず、どのような趣旨でなぜその金額が設定されているか後に分からなくなるケースが多く、住宅手当を増額させる方法は限界があり、実態との乖離が生じた場合に残業代逃れとも言われかねないリスクもあります。
また、いずれの方法も、その場しのぎの方法に過ぎず賃金制度への信頼性を無くす点や、結局は属人的な増額に過ぎず、働きぶりとは関係のない賃金の増額であり、不満を産み出す理由になるというデメリットがあります。
さらに、一旦属人的な手当を増やすと後でそれを減らしたり無くすことが難しくなるので、後々賃金制度を見直す際にコストが増える点から、安易に手当で調整すべきではないと思います。
以上、賃金改定の対処方法を5つ述べました。以下に各方法のメリットとデメリットをまとました。
会社ごとに課題が異なる以上、正解は一つではありませんが、未来から逆算して考えると、(4) 賃金の固定比率と変動比率で調整する をおすすめします。
6.まとめ
今後も最低賃金の引き上げは止まらないと予想されます。
その場しのぎの対策は歪みを生み、公平感を失い制度への不満へと変わっていきます。
そうであれば、賃金改定を「固定比率と変動比率で調整する」のように制度を抜本的に見直して制度上矛盾が生じない形で賃金改定を進めていくことがいいのではないかと考えます。
この最低賃金引き上げをむしろ自社の制度見直しの良い機会として捉えてみてはいかがでしょうか。どのようにすれば、賃金と業績が連動するのか、社員のモチベーションが向上するのかを検討する機会にすると良いと思います。
最後に、補足として特定(産業別)最低賃金について解説します。
7.補足~特定(産業別)最低賃金~
(1) 特定(産業別)最低賃金とは
特定(産業別)最低賃金は何かというと、特定の「産業」にのみ設定されている最低賃金のことです。
地域最低賃金と特定(産業別)最低賃金の違いは以上の通りです。
日本では、欧米諸国と異なり、労働組合のほとんどが企業別労働組合です。産業別労働組合はほとんどなく、産業を単位とした団体交渉を行うことは稀で、産業別に賃金決定を行うことが難しい状況です。
そこで、団体交渉の補完的な役割を担うことを目的に、発達が遅れている産業に対しては他の産業よりも高い水準の最低賃金を認めたというのが、この特定(産業別)最低賃金の趣旨です。
この特定(産業別)最低賃金の一覧(1都3県)は以下の通りです。
(※)は地域別最低賃金を下回るため、地域別最低賃金が適用される。
(「厚生労働省HP令和6年度 特定最低賃金の審議・決定状況」参照)
なお、上記の表で(※)がついている特定(産業別)最低賃金は、地域別最低賃金より低額であるため、地域別最低賃金が適用されるので、注意が必要です。
なぜ、(※)のような効力の無い規定が残っているかというと、特定(産業別)最低賃金は関係労使の申出が無ければ改定されないため、申出がなくそのまま残ってしまっているからだと考えられます。
(2) 特定(産業別)最低賃金が適用される労働者の範囲
特定(分野別)最低賃金の場合は、以下の者に特定(産業別)最低賃金は適用されないという特例があります。
ただし、たとえ以下の者であっても、地域別最低賃金を下回ることができないので注意が必要です。
①18歳未満、65歳以上の者
②雇い入れ後一定期間未満で技能取得中
③その他当該産業に特有の軽易な業務に従事する方
(3) 罰則規定
地域別最低賃金に違反した場合と特定(産業別)最低賃金のみ違反した場合とで罰則が異なります。
地域別最低賃金に違反した場合は50万円以下の罰金となり、特定(産業別)最低賃金に違反した場合は30万円以下の罰金となります。
なお、この罰則が異なる理由として、最低賃金法には地域別最低賃金に違反した場合の罰則規定があるが、特定(産業別)最低賃金に違反した場合の罰則規定が存在しないという点があります。
つまり、特定(産業別)最低賃金に違反した場合には、最低賃金法ではなく、労働基準法上の「賃金全額払い」に違反したこととなり、同法の罰則規定である金30万円以下の罰金の規定が適用されます。
(4) まとめ
特定(産業別)最低賃金は、もともと最低賃金法が業者間協定を前提として成立したことが端緒となっており、その名残が今も残っている制度です。
東京都ではほとんど意義を失っていますが、産業別労働組合がほとんどない日本においては、この制度は重要であると言えるでしょう。
もしかしたら最低賃金引き上げの流れの中で、この制度の適用範囲が無くなってしまい、制度自体の意義が失われてしまうことがあるかもしれません。ですが、今後人材が流動化し、労働者の市場価格が安定化すれば、産業別の労使の動きは非常に重要となります。
今後の時勢に合わせてこの制度がどのように変容していくかを見るのも面白いかもしれません。