YKKの理念経営とは~理念浸透へのアプローチ~

YKKの経営理念とは~理念浸透へのアプローチ~

一般的には、従業員が増えれば増えるほど、経営理念の浸透は難しくなる。しかし、従業員が多いほど、経営理念への共感度が重要になる。

会社としての価値観にばらつきがあれば、不正や誤った判断に繋がるからだ。

ファスナーで世界的に有名なYKKグループは、世界72カ国・地域に108社のグループ会社を展開している。従業員はグループ全体で45,000名を超える大企業である。

その経営理念への共感度は74%と、非常に高い。どのようにして、YKKは文化・価値観・習慣も異なる社員に対して理念を浸透させているのか。

YKKの取り組みについて知ることは、経営理念浸透のヒントになるだろう。

本記事では、YKKの経営理念と理念浸透のための活動について紹介し、理念経営がもたらす利点について解説する。

1.会社概要と沿革

会社概要

商号YKK株式会社
創業1934年1月1日
本社所在地東京都千代田区神田和泉町1
国内事業所富山県黒部市吉田200
代表大谷裕明
資本金119億9240万500円

YKKグループ概要

事業内容ファスニング・建材・ファスニング加工機械及び建材加工機械等の製造・販売
グローバル体制72カ国/地域
グループ会社108社(ファスニング事業67社/AP事業24社/その他事業17社)
従業員数45,363名 ※2024年3月31日時点
連結売上高9,202億円(ファスニング3,793億円/AP5,381億円 他)
経常利益608億円 ※2024年3月

沿革

YKK株式会社の沿革

2.理念の背景

YKKの行動指針やコーポレートガバナンスは、YKK精神の「善の巡環」、経営理念の「更なるCORPORATE VALUEを求めて」、コアバリュー「失敗しても成功せよ/信じて任せる、品質にこだわり続ける、一点の曇りなき信用」に基づいて位置づけられている。

まず、それぞれの背景や意味について紹介する。

YKK精神・経営理念・コアバリュー、行動指針がコンプライアンス活動に密接に関わっているYKK精神・経営理念とYKKグループ行動指針の位置付け

創業者・吉田忠雄の経営思想―「善の巡環」―

「善の巡環」とは、創業者・吉田忠雄が掲げた経営哲学であり、「他人の利益を図らずして自らの繫栄はない」という考えに基づいている。

「善の巡環」とは、顧客や取引先にとっての利益を生み出すことが、自社の繁栄に繋がり、自社の事業において、新しい価値を創造することが、自社だけでなく、顧客や取引先の繁栄、さらには社会の繁栄にも繋がり、巡り巡って自社に還ってくる。

つまり、「顧客や取引先、社会にとって良いことをすれば、自社に巡り巡って還ってくる」という哲学である。

吉田忠雄は12歳のころに、アメリカの鉄鋼王・カーネギーの伝記を読み、「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という言葉に感銘を受けた。

そして、現実の経営を通して、この言葉が真実であるということを確信していった。

ここで特徴的な出来事を紹介する。

品質にこだわることが、顧客の満足になり、自社の利益に繋がる

吉田忠雄がYKKの前身であるサンエス商会を設立したのは1934年のことである。

20歳で故郷の富山から上京し、日本橋にあった陶器と衣服等の雑貨類の輸入販売を営む会社で経営を学んでいたが、1933年に円の暴落を受けて倒産してしまう。

そのときに、店主から在庫として残っていたファスナーの半製品を借り受け、最終製品に加工し販売し始めたのだ。

当時、YKKのファスナーは競合他社よりも価格が高かった。しかし、品質はどこにも負けない製品だと自負があった。

そのため、「このファスナーは絶対に壊れないから、あなた方が売る製品に少し高い値段をつけても必ず利益がでる」と言って販売したという。

ファスナーが壊れてしまうと、ファスナーが使われている製品自体が使えなくなってしまう。

ファスナーの品質にこだわることが、顧客の利益にもつながるからこそ、徹底的に品質にこだわる。そのようにして顧客に満足してもらえる製品を作れば、会社の利益に繋がるという確信を得ていった。

社会の繁栄が自社の利益につながる

事業は社会の繁栄なくしてはなりたたないという「善の巡環」の考え方から、成果は顧客と取引先と自社(経営者・社員)で分かち合うという「成果三分配」を説くようになった。

社会や地域に利益を分配している特徴的な例がある。

1972年にブラジルに進出した際のことである。

事業は好調だったが、ハイパーインフレの影響でブラジル通貨が目減りし、ブラジルの金融機関ではドルが不足。そのため、日本への送金が難しかった。

そこで、YKKは「善の巡環」、「成果三分配」の理念にのっとり、海外で稼いだ利益は本社に持ち帰らず、現地に再投資することを決めた。

このとき、ブラジル政府からの打診を受けたことをきっかけに、最終的に「農地」に投資を行い、コーヒー栽培を行うことにしたのだ。

不動産や鉱物に投資することも可能であったが、「農地」を選んだのは、吉田忠雄が農業に興味あったことも大きな理由だったという。

3300万坪での農地、うちコーヒー園は約70万坪。実に東京ドーム40個分の広大な土地だったが、酸性土壌でコーヒー栽培には向かない瘦せた土地だった。

日本から派遣された社員は農学部出身であったが、コーヒー栽培のプロではない。

サンパウロ大学のコーヒー学の博士に教えを請い、大豆を植え、牛や豚を飼うことで土壌改良を行い、試行錯誤を重ねながらコーヒー栽培を始め、4年間かけて100万本のコーヒーを植えたという。

この事業は、現地の雇用にもつながった。その後、農場内に学校やサッカー場、ストリートチルドレンのための寮も開設した。

そうすることで、午前中は学校で勉強し、午後は農場で働き、アルバイト料を進学費に充てる子どももいたという。

地域との共生によって雇用を生み出し、社会へ貢献するだけでなく、この農園で育てられたコーヒー豆はスペシャルティコーヒーとして認められ、YKKグループの一つの事業として利益を生み出している。

2代目・吉田忠裕による経営理念の再構築

創業者・吉田忠雄は、強烈なカリスマ性とリーダーシップにより「善の巡環」という経営理念を確立した。

1993年に忠雄が逝去し、2代目の社長に就任した吉田忠裕は、「善の巡環」に基づきながらも、より経営環境の変化や事業のグローバル化に対応するために、わかりやすく表現する必要があると考えた。

そこで、示したのが「更なるCORPORATE VALUEを求めて」であり、顧客・社会・社員・経営・技術・商品・公正の質を高めることが、更なるCORPORATE VALUEに繋がるという考えである。

当時、「善の巡環」、「成果三分配」という言葉だけが独り歩きし、各グループ会社の経済基盤や価値観によって、捉え方や理解に食い違いが生じていた。

だからこそ、吉田忠裕は、創業時から言われていた「顧客」、「社会」、「社員」、「経営」、「技術」、「商品」についての質を向上させるという考え方を改めて明示し、新たに「公正」という言葉を加えたのである。

これは、性善説を前提としていない国や地域であっても、対立することなく調整をしていくための判断基準として「公正」(フェアネス)という志向を示すことが重要だという考えからであった。

また、この経営理念を発表した1994年に吉田工業株式会社からYKK株式会社に改名を行った。会社は吉田家のものではなく、社員のものであるという「公正さ」をここにも感じる。

2代目社長・吉田忠裕は、カリスマが残した経営哲学を正しく、また、わかりやすく伝えるために、経営理念を発展させたのだ。

経営理念、「更なるCORPORATE VALUEを求めて」。顧客、社会、社員、商品、技術、経営、公正の7つの分野に新たな質を追求するとした。YKKの経営理念

社員が選んだコアバリュー

2007年にYKKではコアバリューとして「失敗しても成功せよ/信じて任せる」、「品質にこだわり続ける」、「一点の曇りなき信用」という3つの価値観を掲げた。

これらは、創業者・吉田忠雄の語録や考え方にもとづくフレーズであり、創業時から大切に受け継がれていた考え方である。

コアバリューを制定しようという施策のなかで、十数種類の候補から、「YKKらしさ」を表す言葉として、最終的に1万5500人の社員投票で選ばれた。それぞれの意味について紹介する。

「失敗しても成功せよ」「信じて任せる」

新しいことに挑戦するときに、失敗はつきものだ。だが、その失敗を活かして、最後には必ず成功させる。そして信じて任せるからこそ、失敗が糧になり、成功するまで挑戦することができるという考えだ。

「品質にこだわりつづける」

顧客にとって価値ある品質(機能、性能、デザイン、コスト、納期など)を顧客視点で追求し、「One to One」の精神で、正面から顧客と向き合う姿勢を表している。

一人ひとりが自分の「仕事の品質」にこだわり続け、「お客様の立場」で考え抜き、期待以上のものを提供しようという厳しい向上心と、お客様の喜びのために、もう紙一枚の努力をし、「仕事の品質」にこだわることが重要だという考えだ。

「一点の曇りなき信用」

社会の構成員として、社会と共存・共生していく。そのために信用・信頼を築き上げる仕事を実践することを重要視している。

「一点の曇りなき信用」という透明性の高い、誠実で公正な判断と行動を積み重ねることで、かけがえのない信用を築くことができ、YKKグループの長期的な成長と誇りになるという考えだ。

3.理念浸透への取り組み

創業者・吉田忠雄は生涯現役社長を貫き、1993年に逝去するまで現役社長として就任していた。

強いカリスマをもつ創業者の影響力によって、「善の巡環」は経営に常に反映されていた。

そのため、会社として「経営理念の浸透」に取り組みはじめたのは、1994年以降と言えるだろう。

2代目社長に就任した吉田忠裕は、経営環境の変化に対応できるよう経営理念を改めた。

そして、2007年に社員の投票によるコアバリューを制定、2008年に経営理念研究会を発足し、経営理念浸透活動は一層活発になった。

2007年ごろから理念浸透活動に力を入れた理由は2つ考えられる。

1つは、グローバル化が一層進展し、事業規模が拡大する一方で、創業者とともに働き、直接薫陶を受けた従業員が少なくなっていたことだ。

そして、2006年の「不正産廃処理の黙認疑惑」や、2008年に発覚した「国土交通省認定を受けた防耐火の建材で性能評価書と異なる商品の生産・販売」、「約2億6千万円の所得隠し」といったコンプライアンスに関わる問題が複数発生したことである。

「善の巡環」をはじめとした、創業者・吉田忠雄の経営哲学やYKKの経営理念が浸透していれば、このような問題は発生しなかったかもしれない。

創業者生誕100周年であり、没後15年を迎えるにあたって、改めて全社員が一丸となってYKKグループらしい正しい在り方で前進していくために、経営理念に立ち返る必要があると考えたのではないだろうか。

ここから、YKKは愚直な理念浸透活動を開始した。

その特徴は3つあった。まず、経営トップ、中堅層、若手社員といったそれぞれの階層から施策を発信していること。

次に、世界中の各拠点が自律的に理念浸透活動について取り組んでいること。

最後に、草の根的な地道な活動が多いことだ。

ここでは特徴的な6つの施策について紹介する。

経営陣、社員、各拠点による多角的な取り組みが特徴である。多角的な取り組みが経営理念の理解、浸透に繋がっている

車座集会をはじめとする経営トップと社員の対話

会長や社長といった経営トップが、社員との率直なコミュニケーションをとっている。国内だけでなく、海外拠点のローカル社員とも積極的に対話を行い、2022年度は約660名の社員と対話を実施した。

また、車座集会は社員が会長や社長との対話を通して、経営理念の原点を知り、日々の業務の中で経営理念を実践するための課題や考えについて共有する場になっている。

2022年度には年間400名の社員とトップ自らが対話を行ったという。

社長と会長の製造現場訪問

黒部事業所では、例年会長と社長が製造現場を訪問し、現場社員とともに話し合う機会を設けている。2022年度は年間46回、265名が参加した。

本部長主催の経営理念ウェビナーの開催

中堅・若手社員を対象としたウェビナーを開催し、各本部長が自身の経験談や考え方を語りながら、社員とコミュニケーションを図っている。

ポスター・漫画・語録集・コアバリューブックなどのツール活用

YKKホームページには、「ショートストーリー」と名付けられたページがある。

ショートストーリーでは、「善の巡環」に基づくYKKの歩みや社員のエピソードを短編漫画にして紹介している。

この漫画は、日本語・中国語・英語の他、各地域で現地語に翻訳されており、経営理念理解のためのツールになっている。

他にも吉田忠雄語録集やコアバリューブックと呼ばれるコアバリューの実践集なども用いているという。

各拠点の現場主導の企画

各拠点が現場主導で活動を企画し、展開している。例えば、YKK台湾社ではマネジメントスクールの講師を工場に招き、YKK台湾社の課長以上の幹部を集めて研修の形でグループワークやディスカッションを行っている。

経営理念研究会の発足

毎年各事業から人選されたメンバーがYKKの理念や思想の継承を目的に研究し、その成果を毎年3月に経営層に報告している。

4.理念経営がもたらしたもの

理念浸透活動と、理念経営の実践により、「善の巡環」への理解・共感度は2008年の42%から2022年には74%まで上昇した。

エンゲージメントやモチベーションの向上に繋がり、新しい施策に対する判断の根拠や従業員からの賛同に繋がっている。

また、「善の巡環」の精神を基本としたコーポレートガバナンス体制の充実にも取り組んでいる。

CRO(最高リスクマネジメント責任者)を任命し、品質委員会、貿易管理委員会、危機管理委員会、技術資産管理委員会、情報セキュリティ委員会を設置するなどして、内部監査機能を高めている。

こういった体制も、理念が浸透したうえで機能することで高い自浄作用に繋がる。

現在のYKKは不正や不適合に対して隠ぺいしたりや黙認をするのでなく、「一点の曇りなき信用」のために、発生・発覚した問題に対して真摯に取り組み、再発防止を講じるという姿勢がある。

例えば、2023年4月に玄関ドアの国土交通大臣認定不適合が見つかった件も、グループ内の品質委員会の業務監査で発覚後、適切に国土交通省への申告や、お客様への改修対応が行われている。

経営理念や、「一点の曇りなき信用」というコアバリューの浸透が、重大な局面での正しい判断に繋がっているのだ。

他にも以下のような施策が経営理念に基づいて展開されている。

定年制廃止

2021年にYKKでは従業員に対する定年制を廃止した。これも、「公正」という経営理念に基づいている。64歳以下と同一職務であれば、65歳を超えても同一報酬で働くことができる。

地方創生

東京に本社はあるが、本社機能の一部を富山県黒部市に移している。

多くの社員が黒部に住むときに「社員が住みやすいまち」にするという考えから、子供の教育のための保育園や体育館、カフェ、ホールなどをつくり、やさしいまちづくりを行った。

社員のためだけでなく、まちづくりを行うことで現地での雇用も生まれ、経済の活性化につながっている。

SDGsへの親和性

サステナブルの取り組みと「善の巡環」への親和性は高く、会社がSDGsに取り組む際の動機づけになっている。

5.まとめ

YKKの経営理念の強みは、「善の巡環」という普遍的かつ実体験に基づく強い確信が込められた経営哲学を経営理念の根幹に置いていること。そして、それを世界中の誰もが理解できる経営理念へと再構築したことにある。

さらに、理念を掲げるだけでなく、多角的に経営理念の理解と浸透のために取り組んだことが成果を生み出した。

特に、経営陣自らが動き、社員に対して自らの経験や、草創の経営者やリーダーの思いを語り継ぐといった、地道な活動を継続して行ってきたことは理念浸透のアプローチにおいて最も影響を与えた活動に違いない。

トップが動くことで、理念浸透活動の重要度は高まり、中堅や若手、各拠点の活動や、理念浸透を推進するためのツールが生まれたのだ。

YKKは非上場の会社であり、社員が株主である。そのため、一人一人が経営者の自覚をもって、主体的に経営に参加する「森の経営」を目指している。

森のように、様々な人種、価値観のなかであっても、経営理念や創業者の経営哲学を共通の判断基準、共通言語にしている。

だからこそ、グローバル規模の事業を展開するなかでも一体感をもって経営を行うことができるのだ。

参考一覧

  • 「経営理念」,YKK株式会社,2024-07,https://www.ykk.com/philosophy/(参照2024-07-09)
  • 「YKK株式会社 This is YKK 2023(YKK統合報告書)」
  • 吉田忠裕(2003).「脱カリスマの経営」株式会社東洋経済新報社
  • 吉田忠裕(2017).「YKKの流儀 世界のトップランナーであり続けるために」株式会社PHP研究所
  • 髙橋浩夫(2022).「YKKのグローバル経営戦略 ―「善の巡環」とは何か―」同文館出版株式会社
  • YKK子会社、所得隠し2.6億円、受注工作に国税指摘.朝日新聞社.2008-10-31,東京朝刊,38ページ
  • 不正産廃処理を黙認した疑い 県警、YKKAPを書類送検=宮城.読売新聞.2006-08-28,東京朝刊,27ページ