私は長いこと、「コミュニケーション能力」に係る研修を様々な企業の方に提供してきた。
その内容は、というと概ね次のようなものである。
「聴くスキル」
「話すスキル」
「書くスキル」
そして、その研修の中身はというと、お恥ずかしながら「このような場合にはこのようにすれば良い」と言ったインスタントなスキルで大半が占められていた。
例えば「聴く」スキルの研修では、「相手の話が終わるまで話さない」であったり、「相槌をうつ」であったり、要は「今日からすぐ使えるスキル」を教える。
もちろんこれは「研修を受講する側のニーズ」に基づいた結果、このようなカリキュラムになったのである。 なぜならば、概ね会社員、経営者が欲している研修は、
「すぐに効果が出て」
「人が変わったことがわかりやすい」
研修だったからだ。
もちろんそれは間違ってはいない。
しかし、私は常々、そういった「インスタントスキルのみを伝える研修」には疑問があった。「本当にコミュニケーション能力が向上したのか?」という疑問に対して、「大丈夫です」と胸を張って言うことができなかったのである。
もちろんそういったスキルはすぐに使えて、役に立ったような気分になるし、「ムダ」ということは絶対にない。「プレゼンテーションのやり方」などは、実際に効果もある。 にもかかわらず、なぜそう思ったのか。
それは、研修の受講者の方から、このような一言を頂いたからだ。
「部下と話す時の、想定問答集みたいなものって、ありませんかね?こう答えると、嫌われず、人間関係がうまくいく、みたいな。」
これを聞いて私は、「ああ、申し訳ないことをした」と思ったのだ。
人と人のコミュニケーションというのは、「こうすればこうなる」といった、機械的な反応に基づくものではない。
「こっちが黙って聞いているから、相槌をうつから、相手が気持ちよく話せる」と言うのは、ひとつの例にすぎない。実際には相手は黙っていて欲しくない時もあるし、相槌を打ったら「本当にわかってるの?」と思われてしまう時も多々ある。
私が行っていた研修はあたかも「こう聞かれたら、こう答えるOK 」という事を覚えることが、コミュニケーション能力の向上、という印象を与えてしまっていたのである。
しかし、周りを見渡せばそういったマニュアルはたくさん存在している。ビジネス書然り、 就職活動の想定問答集、転職活動の受け答えマニュアル、上司と部下のコミュニケーションマニュアル然りだ。
すなわち、「コミュニケーション」には「正解がある」という印象を与えてしまうものが、無数にあるのだ。 それはあたかも、「こうすれば絶対に売れます」といっているようなものなのだ。
では、コミュニケーションをどう捉えればよいのだろうか。
コミュニケーション力は「マーケティング力」であると捉えるのが最もよいと、私は思う。
マーケティングの本質は、「顧客の欲求からスタートすること」だが、コミュニケーションも「相手の聞きたいことを話し、相手の話したいことを話してもらう」という欲求に根ざしているからだ。
そして、マーケティングを行う方ならだれでも知っている通り、広告にしろ、DMやPRにしろ、「最初からうまくいく」ことは珍しい。そうではなく、マーケティングの成否を決めるのは「間違った時に、修正をする能力」である。
例えばダイレクトメールを送る時、最初からすべての予算を使いきってしまうのはあまり良くない。
なぜなら「どのような文言がウケるのか」は、実際にダイレクトメールを打ってみないうちは仮説にすぎないからだ。
したがって全体の予算を複数にわけ、
「商品をメインに」
「悩みをメインに」
「地元の会社であることをメインに」
など幾つかのパターンを試してみて、反応の良かったものに対して予算を突っ込むのが良いやり方である。
もちろん、業界の人にとって「テストマーケティングをやりなさい」は常識であり、少しずつ修正をすることが重要なのは彼らが最もよく知っている。
これらは広告であっても、webページでも、PR活動であっても同じである。いきなり大きく変えるのではなく、少しずつ反応を見ながら最適化していく、それが「マーケティング」の基本だ。
ゆるキャラの先駆けである「ひこにゃん」のPRを担当した殿村美樹氏は、著書「ブームを作る」(集英社新書)の中で下のような話に触れている。
氏は2013年に「畳供養」という珍しいイベントを打ち出している。これは数々のメディアを騒がせ、結果として「畳の張替え」という大きな需要を喚起した。だが、この「畳供養」に至るまでには様々な失敗があった。
まず、私が提案したのは「畳ネクタイ」。畳表を素材として、畳以外の製品にも使っていこうというものです。
(中略)しかし、私の提案に対して畳職人たちの反応は「そんなもの、畳じゃない!」
職人たちの反対にあった氏は、方針を転換。その後3年間で「畳ドクター」「畳カルテ」などを経て、「畳供養」などのイベントにたどり着いたという。
彼女ほどのPRのプロフェッショナルであっても、最初から相手の考えていることを当てるのは難しい。
さて、コミュニケーションの本質がマーケティング力と同じだとすれば、コミュニケーションの一般的な姿は次のようになる。
(当たり障りなく)
「今日は気持ちの良い日ですね」
「そうですね、昨日は雨で大変でしたからね」
(相手の反応を見て話題を雨に変える)
「私も昨日外出していたんですが、傘を忘れてしまって、カバンがびしょびしょでしたよ」
「最近雨多いですよね。そういえばいい防水スプレーがあるらしいですよ」
(相手の反応を見て話題を防水スプレーに変える)
「防水スプレーですか?わたし、使ったことないんですよ。あれ役に立つんですか?」
相手の反応を見て、少しずつ会話を修正する。想定問答や、決まった答えはない。これがコミュニケーションの本質である。
コミュニケーションのノウハウとは、想定問答集でもなく、ロボットのように決められた定型句を帰すところにもない。
本質は「相手の気分を害さないように、少しずつ差し出し、反応を見て変える」という柔軟性をいかに身につけるかにあるのだ。
そういう意味では、コミュニケーション能力、とは人間性そのものなのだ。