上司や経営トップは、経営方針や目標を「自分の言葉」で語ることが必要と言われる。
当然のことながら社員は受け売りの言葉しか語らない上司を「言葉に重みがない」と軽蔑するからだ。重みのない言葉は、伝わらない。
上司や経営トップだけではなく、仕事をする人なら誰であっても「自分の言葉」で語ることを必要とされるシーンは数多くある。
例えば営業をしているのであれば、顧客にカタログに書かれたキャッチコピーを語るのではなく、自分の言葉で商品の良さを語るほうが遥かに説得力がある。
もちろん、口で話す言葉でだけではない。報告書や提案書などの文章を書く時にも、切り貼りをした文章ではその人の誠意は伝わらない。
このように人に何かを伝えたい、と願うのであれば、自分の言葉で語ることが重要である。
だが、皆本当に自分の言葉で語れているだろうか?単なる受け売りになっていないだろうか?と問われれば、自信のない方もいるのではないだろうか。
本稿では、「自分の言葉で語る」とはどのようなことか、を考察し、その方法について検証する。
「自分の言葉」と「受け売り」の本質的なちがい
例えば、
この文章を見て、あなたはどう思うだろうか?
おそらく大半の人は「ふーん」と思うだけではないだろうか。いくら偉大な人物が言ったからといって、いくら真理であるからといって人はそれを信じることはない。
では、この文章のあとでこう続けたらどうだろう。
その頃私は営業部でいつも成績はビリ、もしくはビリから2番めをウロウロしていた。
正直、私は仕事が嫌でしょうがなかった。この頃は「どうやって楽をするか」しか、考えていなかったように記憶している。
そしてある日、上司から「飛び込み営業をしてこい」という指示があり、私はイヤイヤながら八重洲のオフィス街に出向いた。
3件ほど門前払いをうけ、4件目に飛び込んだその会社で、ある出来事が起きた。
飛びこんだ会社の社長が「頑張っている営業にはいつでも会う」と直接会社の入口まで迎えに来てくれたのだ。
私は正直、嬉しかった。これまでそんなことは一度もなかったからだ。
私は商品の説明を一通り行ったが、社長は最後まで頷きながら聞いてくれた。そして、私は社長から一つだけ、質問を受けた。
「仕事は楽しいですか?」
私は理由もよくわからず、涙が出た。
「つらいです。」
「つらいのはなぜですか?」
「自分が無力だからです」
「そうですね。大変だろうと思いますが、がんばってください。あなたのがんばりに報いて、あなたと取引をしてみたいと思います。」
「あ、ありがとうございました。」
私はそれ以来、その会社に対して最大限の誠実さを持って、取引を行った。時に叱責されることもあったが、社長は私が努力すれば必ずそれを見て、報いてくれた。
私はその誠実さを他の取引先にも向けるようになった。一年後、私はもはや成績ビリではなかった。
私は社長によって「自信」をつけてもらった。頑張ればできる、と思えるようになったのだ。
「人生は考え方一つ」は、間違いなく真実である。」
どうだろう。この話はある営業研修の最初のエピソードだ。
若干わざとらしい部分もあるが、「人生は考え方一つ」と言われるよりも遥かに人を説得する。
要するに、相手に重みのある「自分の言葉」と感じてもらえる条件とは
- 意見
- 体験、例え話
- 感情
が含まれている言葉である。それなくして、「重み」を人が感じることはない。
自分の言葉で語りたい人の具体的言い回し
上の喩え話は、多くの教訓を含んでいる。「人の言葉」を引用するときは、つぎの点に注意したい。
1.引用
- 引用は正確に行う
- 模倣は恥ではない
- 出典を明かす
誰かの言葉を借りることは恥でもないし、やってはいけないことでもない。むしろ当たり前のことである。だが、それを「自分の言葉として」語ってはいけない。
2.自分の意見
引用のあとには、自らの意見を述べなければならない。賛成、反対、その他思うことを述べるべきである。上の喩え話では、「説教だと思っていた」のは、素直な気持ちだろう。
3.体験談
人の言葉を借りるときには、自分の意見だけでは不足している。意見だけであれば評論家でもできる。真に人の心に入る言葉は、「体験」を伴ったものである。
それは、必ずしも自分が体験せずともよい。人のエピソードを借りた「疑似体験」でも問題はない。
4.感情
強い感情を伴う話は、人の心に訴える。論理は説得のための強力な武器の1つではあるが、それは必ずしも有効ではない。
もっと原始的な心の動きが表現されているもの、例えば映画、小説、ストーリーには感情があり、感情が人を動かす。
【まとめ】
話が上手い人、書くのが上手い人は、上のようなポイントを無意識で抑えている人も多い。「受け売り」と言われないよう、気をつけたいものである。