一生懸命働くと見えてくる世界がある

一生懸命働くと見えてくる世界がある。かつての上司にそう教わった。

だが、それを聞いた時は正直に言うと「何それ、会社が従業員を使うための定型句なのだろうか」と思ってしまった。

なぜなら、私は就職氷河期に就職をしたので、企業の冷たさを知っていたのだ。

なんとか無事に就職できたものの、
「会社なんてそんなに信用できるものではない」
そういう気持ちと、
「でも、努力は報われたい」
という気持ちの間に自分はいた。

だが、働いて10年以上たった今にその発言を振り返ると、「ちがう世界が見える」という上司の発言は確かに当たっていた。

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現在の若手は当時の私よりも更に「会社不信」になっているかもしれない。かつての家族主義的な経営は身を潜め、従業員に短期的な成果を求める圧力はますます強まっている。

実際、従業員は「保護すべきもの」ではなく、「契約によって関係が成り立つ、一つの機能」として扱われるようになってきた。非正規雇用の増加は、そう言った企業の考え方を反映しているのだろう。いわば、体のいい「部品化」である。

そう言った状況で、若手に「一生懸命働くと見えてくる世界があるよ」という発言は、少々説得力に欠けるかもしれない。

余談だが、私が話をしたある学生は「所詮企業は従業員を搾取しようとするだけですよ、せいぜいこっちも利用してやります」と言っていた。

彼は某人材系大手企業に内定をもらっていたが、今も同じように考えているのかもしれない。もしそうだとすれば、双方にとってあまり望ましい状況とは言えないだろう。

だが「働くこと」と「企業に勤めること」は似て非なるものである。

企業に忠誠を誓うか誓わないかにかかわらず、「一生懸命働くこと」には価値がある。

したがって、中年となった今、若手にそれをどうやって教えるか、は一つの大きなテーマだ。

そのために肝心な「一生懸命働くと見えてくる世界」とは一体どのような世界なのかをきちんと説明する必要があるだろう。

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では、その「見えてくる世界」とはどのような世界か。

「一生懸命働くとちがう世界が見える」の具体的内容は次のとおりだ。

 

1.人の本質が見える

ビジネスを理解する、ということは、人を理解することにほかならない。

ビジネスで何が何でも成果をあげようとすれば、人の心理、行動について興味を持たざるをえないからだ。

例えば、仕事をしていればこんな体験はザラである。

・「いいよ、仕事お願いするよ」と言っていた人が突然手のひらを返す。
・ニコニコしていた人が、いきなり激昂する。
・理不尽なことでクレームをつけてくる。

かと思えば

・初めて会った人なのに意気投合して、一緒にビジネスを始めてしまった。
・人生を変えるような深い話をしてもらえた。
・人のために尽くしている管理職と経営者の姿を見た。

なんてこともある。

人間の心の動きをつぶさに見ることができるのは、「一生懸命働く人」だけに与えられる恩恵である。

 

2.会社とお金が見える

真剣に働くと、会社とは何をするところなのか、お金を稼いでいることだけが目的なのか改めて問いなおすことになる。

特に日本人は「お金を稼ぐことは卑しい行為」とみなす人も多いが、会社で一生懸命働けば、それが誤解であるとすぐに気づくだろう。

また、お金を稼ぐために必死になる人がいる一方で、お金では決して動かない人もいる。さらに、お金はどこにあるのか、誰が稼いでいて、誰が搾取されているのかも見える。

お金を通じて、様々な価値観、人の生き方、経済の動きまでを学ぶことができる。

それらは「一生懸命働く」ということを通じて得られる貴重な知見だ。

 

3.自分のことが見える

ピーター・ドラッカーは「人は自分の強みなど知ることはできず、せいぜい弱みをしるくらいだ。しかも大体それすら間違っている」と述べた。

人は案外、自分のことをよくわかっていないものだ。

だが、一生懸命働くことで人は様々な試練に晒され、それを通じて「自分が何を重視し、何を軽視し、何が得意で何が不得意かが見える」ようになる。

時には嫌なことをやり、時には時間を忘れて働くことができる、そう言った体験を通じて、自分の価値観を客観視するチャンスを得るのが、「働く」ということなのだ。

 

4.世の中が見える

人を知り、会社組織とお金を知り、そして自分を知る。

つまり、以上のことが見えると、世の中が見える。それが「一生懸命働く」ことで世界が見える、ということの本質だ。

 

【まとめ】

一生懸命やっても報われない、なにか必死にやるのはカッコ悪いことだ、と言う風潮もある。

だが、真に得難いのは、金銭的なものよりも「働くことで得られる見識」だと強く感じる。

お金は見識さえ得られれば、後から十分回収できる。まずは一生懸命働いてみても良いのではないだろうか。