なぜ当たり前のことができなくなるのか

経営者とともに評価制度を検討するときに、よく話題になるのが、凡事徹底だ。

経営者の多くは社員に対して、「当たり前のことを、当たり前にやって欲しい」と考えている。

凡事徹底を重視する経営者は多い。なぜなら、当たり前のことができなければ、難しいこともできないし、何事も徹底しなければ業績向上につながらないからだ。

凡事として挙げられることは、簡単なことが多く、「挨拶」「清掃」「時間厳守」「報連相」などである。

やる意思さえあればできるのが凡事だが、徹底となると、できる会社はごく少数に限られる。

徹底できない理由は色々あるが、先日、ご支援先の経営者から伺った話が興味深かったので紹介したい。

その会社は、旅館を複数経営しており、コロナ禍でも空室率が10%をきるなど、素晴らしい業績をあげておられる。

美しい庭が旅館の売りの1つで、そのため、お客様が少ないときなど待機時間があれば、庭の雑草を抜いて欲しいと社員に伝えている。

雑草を抜くという凡事は簡単なはずだが、やはり徹底が難しいらしい。

経営者いわく、「徹底できない理由を観察していると、面白いことがわかりました。あとから入社した社員は、どの状態が庭の完成形なのか、わかっていないから、雑草が抜けないのです。」と。

経営者は自分で庭を設計したので、庭の完成形がわかり、雑草が気になる。だから抜ける。

支配人も経営者から直接指導されているので、雑草が抜ける。

その下の階層から問題が少しずつ発生するようだ。

支配人はシフト制なので、お休みでいない日がある。ここでちょっと雑草が生えてしまうことがある。

次の日に支配人が出勤するも、満室で大忙し。雑草がちょっと生える。次の日はトラブルがあり、凡事はちょっと後回し。

そうこうしている間に、ちょっと雑草が生えた状態で、新人が入社する。そうすると、新人にとっては少し雑草が生えた状態が、庭の完成形のように見えてしまい、雑草に気づけない。

雑草に気づけないのだから、暇な時間があっても、雑草を抜こうとしない。

普通のスタッフにとっては、今、目の前にある状態が完成形になってしまう。だから、問題に気づけないのだ。

これが、凡事が徹底できない本質的な理由だと感じる。

最初は徹底していた挨拶も、繁忙期になると次第に声が小さくなっていく。

最初は徹底していた清掃も、一年も経てば少しずつゴミが増えていく。

最初は徹底していた報連相も、社員が増えればだんだん雑になっていく。

このように考えると、凡事徹底をするためには、完成形を毎回見せないといけない。

綺麗な庭の状態を写真にとっておく。

挨拶の動画をとっておく。

報連相のトークマニュアルを作っておく。

「暇があれば雑草を抜け」と声をかけても、正解を知らない社員は動けない。凡事徹底も一工夫が必要だ。